結論を持たないで授業をする

大学の講義では、あえて最後の結論をはっきりさせないまま授業をはじめていた。
話をしながら、だんだん自分の解釈が定まってきて、最後きれいにまとまると、
「あぁ。私はこんなことを言いたかったのか。」
「あぁ。この資料をこんなふうに解釈したんか。」
と発見があって気持ちがいい。
これを中学の授業で何回かにわけてすると、最初に生徒に配った資料と最後に話したことが食い違ったり、生徒に配った資料でまったく説明しない部分がでてきたりする。
「それはええねん。授業で話したことが『正しい』ねん。」
といっても生徒になかなか納得して貰えない。
もっと恐いのは、親が納得してくれないことである。
最後まできちんと組み立てた授業なんておもしろいんだろうか。
少なくとも、やっている方はおもしろくないのだが、そういうのはやっぱり「いけない」のだろうか。