11月

さてもう11月である。
今年度もあと5ヶ月しかない。私の任期も5ヶ月しかない。ちょっとドキドキしてきた。せめて何か肩書きだけでも欲しいものだ。名刺に「元助教」とか「無職」とか書けんがな。
そんなドキドキしてきた頃に、

高学歴ワーキングプア  「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

を電車の行き帰りで読了。恐ろしい話ばかり書いてある本なので、精神衛生上よろしくない本だ。
飯が食えない人種を制度的に大量に作り出したことを告発しているのは素晴らしい。
週刊誌を読むような扇情的な書き方は気にくわない。
感情が入りすぎた記述に読むのが耐え難い。仏門に入ったのなら、もっと悟った書き方をすべきだろう。
研究者なのだから、もっとねちねち書くべきだろう。
文系の悲惨な話と、理系の悲惨な話をつごうよく組み合わせてあって、よろしくない。
今の若い人は「○○学博士」ではなくて、「博士(○○学)」のはずだ。すごく気になる。
上のような言葉の安易な使い方が目立つ。研究者としてどうかと思う。
ポスドクになって、自分より若いおねーちゃん先生に対してお茶くみさせられたから研究諦めたとか、学位のない査読者に論文をリジェクトされて研究をやめたとか、おまえらは何のために研究しとるのかと問いたい。←そう思って研究をやめることについては関知しないが、この本で出す例としてはいかがかと思う。もっと一般の読者にも訴えかける悲惨な例があるはずだ。
こんな本を書いてこの人はこれからどうするつもりなんだろう。

私がこの本のテーマに関わりがなければ、途中で読むのをやめている。著者の感情が入りすぎで読んでいてイライラする。この手の本を読むのは辛い。
こういう書き方の本のほうが世間受けするので、問題を知らしめるための手段としてこういった記述の仕方を選んだのなら評価したい。そうでないのなら、どうかと思う。