図書館へ本を寄付すると安心か?

えらい先生などが、生前あるいは死後、蔵書を一括して図書館に寄付することがある。
えらい先生の見識によってあつめられたコレクションの散逸が防がれることはよろこばしい。
しかし、ここでだまされていはいけない。蔵書は全て受け入れられるわけではない。受け入れの登録をするときに、えらい先生の見識によって構成されたコレクションは、図書館の司書さんによって選別されてしまうのだ。司書さんによってこの図書館にとって、あるいは資料的に不要だと判断されてしまうとゴミになる。
私の蔵書の中に誰がなんといってもえら〜〜い先生が、自著に自ら事細かに修正の書き込みをされた逸品や、自ら書き込みをされた本がある。なぜそんなものが私の手元にあるのか?
それは、一つは高校生向けの参考書だったからである。昔は、えら〜い先生が高校生向けに参考書を書いていた時代があった。その時代に、えら〜い先生が参考書を書かれた。刊行後、細かな修正を無数になされた本が蔵書の中に残された。しかし、これを高校生向けの参考書と判断してしまえば所蔵するにたらぬものとなってしまう。一つは、文庫だったからである。えらい先生の書き込みがあるとはいえ、文庫では図書としての価値は低いと判断されたのだろう。図書館には受け入れられず、ゴミとなっていた。それをいただいてきたのである。
奥様曰く、「寄付する時に、お金を付けたら変わる。」とのこと。そういえば、某大学にあるなんちゃらかんちゃらという文学者のコレクションには、本と一緒に億単位の寄付がついていた。このときは、マッチの箱のスクラップ帳や、新幹線のパンフレットまできちんとうけいれられていた。
えら〜い文学者とえら〜い研究者では違うけれども、寄付するときは相応のお金もわすれてはいけないようだ。
大阪の中央図書館といっしょにされてしまうという大阪の国際児童文学館の蔵書も受け入れの時に大量にゴミとされてしまうのだろうな。