「ゴレンジャー」鑑賞中

お子に情操教育を施すべく、毎日一本ずつ「ゴレンジャー」を見ています。戦隊物の原点とされる作品であって、私が幼い頃、熱中していた作品でもあります。
勿論、現在「ゴセイジャー」という最新の戦隊物がやっています。その前にやっていた「シンケンジャー」などもコンピュータを使った画像処理は、目を見張る物があります。
特撮で比較すれば、「ゴレンジャー」はまさに「子供だまし」です。今、「ゴセイジャー」を「子供だまし」とするならば、「ゴレンジャー」は虫もだませないくらいの稚拙さです。
話の筋も、「シンケンジャー」や「ゴセイジャー」に比べるとほとんどないに等しいくらいにありません。
しかし、お子は、「ゴセイジャー」よりもはるかによい反応を示して熱心にみています。画面に対して「赤のゴレンジャーでたなー。ホイホイ怪獣(黒十字軍の手下の黒いやつ)とたたかっとるなー。」と声をあげて熱心にみています。「ゴセイジャー」などを見ても、声をあげることはありません。
技術的には比較にならないほどに高度化している「ゴセイジャー」に子どもを興奮させる何が足りないのか?
私は、「ゴセイジャー」には生きた人間がいないのではないか、ということに思い至りました。肉弾で戦うゴレンジャーとゾルダー(黒いホイホイゆうやつ)、黒十字軍にいとも簡単に殺戮される人々。「ゴレンジャー」には、人間の生と死が満ちあふれています。戦いに明け暮れながら、生死を巧妙に隠蔽する今の戦隊物にはない要素です。
生死の境が大人よりも大きくないお子はそれを鋭敏に感じ取っているのかもしれません。