ホメオパシーについて2

ホメオパシーいかん、いかんといわれるのは、医療従事者の一部が推奨しているところにあるからだろうか。
しかし、なんというか、私の嫁さんの話をしてあれだけれども、私の嫁さんは、出身県内でもトップクラスの高校を出て、日本でも名のあるかどうかは知らないが、関西では間違いなく名のある国立大学の教育学部に入って、大学院まででている。しかし、あるとき、「虫はなんにもないところからわいて出て来る」と真剣に、心から疑うことなく言い切ったことがある
私は、親もなしでいきなり虫がどこからか汚いところから突然うまれでてくるのか、と聞きなおしたが、奥様は、そうや、と言い切った。
驚愕した。
94歳でなくなった私の祖父は、「日は東から出て、月は西からでるんや」といっていたが、私の祖父は小学校しかでてないので、科学的知識に関する教育の機会を逸していたといい得よう。しかし、私の奥様は、少なくとも学歴的には学校教育において科学的知識の教育をうける機会を逸していたとはとても思えない(奥様の経歴でその機会を逸しているなら、日本人のほとんどが逸していることになるはずだ)。
奥様を観察することから導かれる判断は、「科学的に正しい」事柄や認識というのは、恵まれた環境で高等教育を受けた人間であっても身につけるのは困難だということである。だから、ホメオパシーの思想が説くところの、「波動」とかそういう概念を「科学的に」否定したところでたいした意味はないように思われる。
ホメオパシーでは、物を溶かした水を、理論上は分子一つも残らないくらいまでに希釈してそれを薬にするそうだ。科学的には効能のないただの水だろう。しかし、目の前に、うんこを溶かした水を、理論上は分子一個すら残らないまでに希釈したものを「飲め」とだされると、科学的にはなんの問題がなくとも、やっぱりなんとなく気持ち悪い。
この「なんとなく」という感覚がホメオパシーに対する信頼の根底をなしているような気がする。ホメオパシー云々という場合は、科学的事象として扱うよりも、文化的事象として扱った方がまだましかもしれない。
私が、もし、ホメオパシーにコメントを求められたなら、どう答えよう。とりあえずの答えは、病院の先生にみてもうてあかん病気でも、その道の「先生」に頼んで信心があれば、キツネが病気のなおしかた教えてくれたり、ミーサンが薬を出してくれて治ったりしますので、なんでもええんで「まぁ、この「先生」に見てもーて治らんかったらそらもうしゃーないわ」と思えるええ「先生」を探すこってすわな、というところか。