英語は喋ることはできませんが書けるかもしれません

もう、英語が喋れない。
私の英語力は、大学入試が終わったその日を頂点として、終わっている。それ以降は、教養の英語を一年して、修士課程の入試で勉強をしただけである。
それ以外で、大学入試以後、英語を実用に供したことは、京都で外国人に道を尋ねられた時と、居合の稽古をしているときに合気道の稽古を見に来た外国人に「アイキドウハナツヤスミデアル*1。ワタクシハイアイハヨイモノデアルコトヲシイスル。ワタクシタチハアナタガイアイヲミルコトヲノゾムデアロウ。」といったくらいのものである。
私が大学院に入ってからでも、ドイツ人もフランス人もイタリア人もイギリス人もアメリカ人も韓国人も中国人も台湾人もインド人もベトナム人もいて、お話をしたことがあるし、日々お話をする人もいるけれども、みんな日本語を「ぺらぺらぺ〜ら」と話すのだ。私は、共通語的語法で日本語を話す努力はしたけれども、それ以上の努力は必要なかった。
そう。こんな私でも、高校生の時は、アメリカ人やタイ人と英語を「ぺらぺらぺ〜ら」と喋っていた記憶がある。とはいっても、遙か昔の話なので、そういった記憶を自分の中でいつのまにかつくっているのかもしれない。
しかし、その事実がなくとも、高校生の私は、今の私よりも英語を「ぺらぺらぺ〜ら」と喋ることができたことだけは断言できる。
こんなことだから、英語を書くなど以ての外だ、と思っていた。
とはいうものの、世の中には、英語を書かなければいけない時もどういうわけかある。
仕方ないので、英語のようなものを書いてみた。
もちろん、私の書いたものは、「英語のようなもの」であって、「英語」であると主張する根拠はどこにもない。
そんなものを人に見せるのは天をも知らぬ所行なので、英文学を専攻しているドクターの人に「できれば今日中に」といって失礼千万なメールを送りつけ添削して貰った。
帰ってきたメールがいうには、「まぁ、kahachiさんの書いた英語でも問題ないと思いますよ。」とのこと。
おかしいではないか。英語の全盛期は前世紀のことであるぞ。どこに英語を書くことのできる能力が眠っていたのだろうか。

*1:Aikido club is summer holiday.とかいった記憶がある。。。