八戸の姿をみて思う

八戸の港をうつした映像をみていると、平地はすっかり流されてしまったなかで、小山になったところに神社があって、無事建っている姿がうつっている。
よくわからんが、蕪島神社(http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=403218&l=1413328http://kabushima.com/)という神社のようだ。
大変興味深い。
陸前高田市の映像をみていると、少し高台にある寺は流されていないのが目に付いた。
但馬の豊岡の水害の際に現地にいって驚いたのは、昔からの村はほとんど水に浸っていないことだった。必ず手前で水がとまっている。川があふれたときに水がどこまであがるかを熟知して村があるのだ。
泉州の漁村で話をきいた時、神社を「山」といっていた。私が歩いていてもほとんど気づかない*1が、「山」といわれると確かに神社周辺は数メートルほど高くなっている。村のひとがいうには、高潮などでどんなに水がついても、「山」にある神社だけは決して水につかることはないそうだ。
丹波のくそ山奥で話を聞いたとき、不便な山の中腹に村があって、田畑は、山を下った川沿いの平地にある。それについて、世間話の中で「不便ちがいますか?」と間の抜けたことを聞いたら、村の人は、「川沿いは山崩れたら終わりや。」と答えてくれた。山奥の村があえて不便そうなところに家をつくっている理由をその一言で悟ったものであった。
阪神大震災の被災者のはずなのに、こういうことにはまったく疎かった。今回の被害状況をみて、いくつか聞いたことを思い出したところである。今回の津波は、専門家がいうところでは、貞観11年(869)の津波以来(http://web.bureau.tohoku.ac.jp/manabi/manabi16/mm16-45.html)だそうだから、聞き取りで得られたような事例はほとんど役にたたないだろうけれども、本村レベルの村とか、主要宗教施設の被害状況と災害伝承の相関はどれくらいあるのだろうか。
松島の瑞巌寺とかは水没していないらしい(http://www.asahi.com/national/update/0314/TKY201103140194.html)。
こういうページがあるようだ:「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震による被災地の空中写真」(国土地理院 http://saigai.gsi.go.jp/photo_h23taiheiyo-hr/index.html

※追記
どこの市か忘れてしまったが(陸前高田市?)、ニュースを見ていたら、老夫婦が、津波がくると思って高台の神社に避難した。しかし、「水がつくなら市役所だ」とだれかがいったので、神社から市役所へ移動した(神社にいこうとしていたのを市役所に変更したということかもしれない)。市役所に避難していたら、4階ににげろ、と無理に押されて4階に逃げたら、次ははしごをつたって屋根へ逃げろ、と押されて屋根ににげた、というはなしをしていた。
※追記2
八戸は、蕪島神社で間違いないようだ。ブログに周辺の被害状況の写真が掲載されている。http://kabushima.sblo.jp/

*1:山出身基準からするとどう考えても山ではない。