どんな授業を受けたのか全く思い出せない

小学校・中学校・高等学校と国語の授業を受けてきたはずである。どんな授業を受けたのか、折に触れて思い出そうとしている。
しかし、まったく思い出せない。
小学校の時の国語の授業の記憶は皆無であるし、中学校の時の国語の授業は、古典で暗誦をしたこととか、何かの雑談(内容も覚えていない)の場面とかそういうところしか覚えていない。
高校は、国語の先生が「おまえらあほや」といった記憶と文庫の種類を紹介してくれたことしか記憶にない。古典も授業で具体的に何をしたのかは全く覚えていない。教室で机に座って授業を受けていて、漢文のノートにやった予習の現代語訳を先生の訳をもとに直している、という映像があるのだが、具体的な内容はわからない。この映像自体、現実ではなく、夢かなにかの情景かもしれない。
先生がどんな授業をやったのかは何一つ思い出せないのだが、テキストで何を読んだのかは覚えている。
小学校は、……。やっぱり思い出せない。「あおいそら しろいくも」とかが最初だったか。それは弟か妹の教科書だったか……。
中学校は、竹取物語奥の細道は覚えている。その他は何も思い出せないのだが、今、授業のために中学の教科書を読んでいると、読んだ記憶はないのだが、いくつかの作品の内容を覚えているものがある。自分で進んで読むなどということは絶対にない作家が多いので、どうも、中学の時にやったらしい。
高校になるとかなり明確に覚えている。山月記とかはきわめて印象深いものであったし、高瀬舟、城の崎にてなんかもよく覚えている。
どうも、国語という教科は、教員の能力というよりも、国語の授業の場で読む作品の力によって成り立っているのではないかとすら思われる。
そういう主張の人はどこかにいないのだろうか。
それとも、そんなことを思ってはいけないのだろうか。