第1回講道館柔道「形」国際競技大会2007という大会がおこなわれるらしい。
柔道は教育分野でも広く普及しているが、形(かた)はほとんど稽古されることはない。普段の稽古も打ち込みと乱取り形式の稽古が主である。昇段審査でも、初心者段階では形の審査はおまけ程度である。
打ち込み形式の稽古が形の稽古といえなくもないが、「形」を意識して稽古している人はあまりいないだろう。
こういった中で、柔道の形の大会が開かれると言うことはよいことだ。
居合をしていると、奥義を最初に習う。初心者の習う最初の業が奥義である。また、えら〜い先生の話を聞いたりすると、各業にとても到達できないような見てもわからん、見ても再現不可能な動きと、とても認識できないような意義がある。
そういったものを各段階で、どれほど自分のものにしていくかというのが形の稽古であろう。とても再現できそうにもない動きとその意義を、自分の身体との対話していくなかで、身体を形が求めるようにつくりかえていかなければならない。大変辛気くさい、外からみたら何をしているのか分からない稽古である。
他方、乱取り稽古や打ち合う稽古は、敵にどう対処するかを実際に体験することができる大変便利な稽古である。技がかかるかかからないか、勝か負けるかはっきりしているのでやっている者にも、外から見る者にも大変わかりやすくもある。
とはいえ、乱取りをしているだけでは、それぞれの技の持つ精妙な理を知ることはできない。形をしているだけでは、千変万化する現実に応用することが難しくなる。柔道が形の比重を高めていくことはたいへんよいことだ。武道を必修にするなら、学校でも形を導入すべきである。ただ、形がただの「かたち」だけになっては、「踊り」にすぎない。その凄さを思い知らすことができるほどのえら〜い先生に習わなければいかんだろう。
そして、多分、そんなんは無理なのである。