「きちがいじみた」こだわり

昨日は、「きちがいじみた」量へのこだわりを普通にしなければならないといったけれども、量をクリアしたら、今度は、細かさが必要である。
量を背景とした精緻な議論を構築しなければ、「ぎょうさん見とるんは分かるけど、ほんで?」といわれておしまいである。
精緻さは、分野によっては極限まで精緻であるから、量と同じで、追い求めるときりがない。きりがないけれども、精緻な議論を構築していない論文は、「ゆるゆるやな。」といわれるだけである。