「入り口」にも達していませんでした

なんか準備した講義(?)だが、なんか、対象の人たちにとっては、内容とかそういうものではなくて、形式が論外的な感じであった。
今から考えると、対象の人達にとっては、形式がもっとも重要であって、内容というのは形式の従属(?)だったようだ。
私は、内容が第一であって、形式は内容と与えられた時間に従属するものであると考えていたから、その懸隔はいかばかりであろう。
そういうところには、そういうところの文法があって、そういうところの人たちの中に入って話すには、その人達の文法を理解しておかなければならない、ということだろう。
「その人達の文法」を理解しようとして努力したけれどもやっぱり数日の内ではとてもコミュニケーションをとるレベルまではもっていくことができなかった。
私は、「あぁ。全く言葉が通じていない。向こうのいうこともよく分からないし。こちらのいうことも多分伝わっていない。あぁ。」と会話が成り立たないことに絶望したのだが、向こうは、「コイツハバカデアル」としか思わなかっただろう。
結果もそういうことだった。
けれども、この場の趣旨は、異質なものをうけいれよう、というところにあって、異質なものを断罪しよう、ということにあるのとは違うと思う。なんか釈然とせんものがある*1

*1:何を書いているかさっぱりわからんだろうが、国も推奨しているODの処遇策の一つの実際の運用と関わった、ということだけ注記しておく。