研究行為を頭ごなしに否定された

言葉が通じないことは、もうこれは仕方ない、とも思えるのだが、研究という、もう論文を書き出してから数えても10年以上やっていることを、頭ごなしに否定されてしまった。
私は、積極的な意味で「研究」ということを位置づけてはなしたつもりなのだが、「研究に拘泥して」みたいな感じでいわれてしまったし、「研究」の能力があるから、その応用で「その人達の文法」を効率的に解読して、理解し、身につけることも比較的容易である、とか思っていたのだが、そういうふうにはまったく理解されなかった。
院生のときとかは、研究していたら、頭ごなしに無意味のレッテルをはられて、ちょっといやな思いをしたことがあった。
けれども、最近、歳をとってきて、いきのよくないものは相手にされなくなってきたからか、一度は大学の教員もしたことがあるからか、ヘドロの海で死にかけのものを相手にしてもしかたないからか、「研究」という行為について、頭ごなしに否定されるという経験をすることはなかった。
研究内容を頭ごなしに否定されても、最近は、「コイツハバカデアル(無視)。」とか「私の思うところが通じていない(反省)。」と思って平気である。この前も、某学会でえっらい先生を激怒させたが、これは私のことばの使い方がまずかっただけで、内容自体は微塵も揺るがない。「ことばのつかいかたを反省しよう。」とおもっただけで平気であった。
しかし、いままでやってきた研究という営為を頭ごなしに、でかい声で、肩書きからは研究についても大層思慮分別のあると思われる人から否定されるとは思わなかった。これはちょっと平気でいられる感じではない。