あるクラスがやかましい

明日は初任者研修というものがあるそうで、一日出張である。
授業をしなくてよいのでちょっと喜ばしい。
さてさて、あるクラスがやかましいのである。
この学校で授業をするようになって、教室が騒がしいというのにも二種類あることを発見した。
一つは、こちらを意識して騒がしいさわがしさ、もう一つは、こちらを無視して騒がしい騒がしさだ。
こちらを意識して騒がしいのは、授業をしていてさほど不快ではない。反応するところは反応するのだからそれはそれで授業を聞いているということだ。静かにさせようとしたら静かにもなる。
もう一つの、こちらを無視して騒がしいのは、ひとことでいえば不快だ。大層不快だ。
あるクラスに、こちらの授業を無視して私語をする馬鹿者がいる。そういう馬鹿者が一人いるとクラス全体の落ち着きもなくなる。
「君は一体、どういう権限をもって、今、私の授業を完全に無視して私語を交わしているのか?私には君の堂々と私語をする論理が判然としないから、ここで説明してくれるか?」
というと、「えっ?」という顔をして、途端に黙る。
しかし、すぐにまた私語をはじめる。
どうも自分の行為を言葉でもって説明しようという意志はないらしい。
学年主任の先生にいわせると、
「あいつは学校なめとる。もっとガンガンいかないけませんよ。」
ということになるようだ。
では、この「ガンガン」の部分だが、私が、中学生のときに受けたような、ビンタ「ガンガン」とか、竹刀「ガンガン」みたいな感じではないことは校風からも確実にいえる。
そうでなければ、この「ガンガン」は、グーの音もでないように、生意気な院生を演習や自主ゼミで泣かすように、徹底的に相手を追い詰めて、逃げ道をなくして論破する的な所で攻めていくような「ガンガン」だろうか。これは「ガンガン」しばく以上に快感だ。
しかし、こういう「ガンガン」は、空中戦しかしない学部生をたしなめたり、性根の座っていない院生をいてこますには効果があろうが、中学生にそういうことをするのは、さすがの私でも、多分よくないだろうと思う。これも「ガンガン」のむき方が違っていると思われる。
「ガンガン」といわれても難しいなぁ。
ついでにいうと、説教を垂れたり、「だまれ!」と声を張り上げたりするのは、疲れる。たいそう疲れる。ここ何年も説教というのは、酒を飲みながらするものだったからなおさらだ。
世の中学生よ。中学生の分際で、先生を疲れさせるようなことをしてはいけないのである。然と心得よ。