先生は偉くないのか?

下の話にも関わるが、このやかましいクラスのあからさまにやかましくしている数人に対して、
「おい。『先生』ちゅうのはおまえらの友達ちゃうぞ。おまえらよりも偉いんやぞ。わかっとるか?」
というと、
「はぁ?」
という顔をする。その、
「はぁ。」
という顔は、「そんなことはじめて聞いた」というような顔である。
「授業は神聖なんや。その神聖なる授業であからさまに内職をしたり、居眠りをしたりするのは授業への冒涜や。」(だから、内職や居眠りは、こそこそと分からないように、隠れてせよ。)
といっても、やはり「はぁ?」という顔をされる。
いつから、先生は偉くなくなり、授業は神聖であるという建前(建前だけでいいのである)がなくなったのだろうか。
大学に十年以上居座っている内に、世界はすっかり変わってしまったらしい。
この建前が成立しないということは、授業なんか成立するはずがない、と思うのだが、世間の普通の先生方は、どういった論理でもって授業をおこなっているのだろう。
それとも、こういう考え方自体がいつの時代にかどこかで否定されていて、新しい論理が構築されているのだろうか。