片付けられない理由

ついでに、なぜ、片付けられないのかというと、今、とりあえず安定を保っている資料を崩すというのは、大変な手間が発生するということと同義なのである。山になっている限り、「恐らく○○の時の資料」としてとどまっている。置いておれば、いつか(死ぬまでの間のいつかであって、今とかそういうレベルのいつかではない!)役に立つ可能性がある。それをいざ取捨選択しようとすると、頭を使わなければならない。要るか要らぬかさぁどっち、という判断を、要るか要らぬかよくわからないもの(要るか要らぬかよくわからないものは不要であるという判断には与しない。)に対して行うのは大変な苦痛である。
そんな苦痛に耐えられるのは、よほど暇な時か、精神状態のよいときであって、講演のレジュメをつくらなければならなかったり、後期の授業の準備をしなければならなかったり、調査にいったりしなければならなかったり、子守をしなければならなかったりする時に人から強制された状況でできるものではないのである。
こういうことをいうと、奥様は、「へりくつをこねる」とかいうのだが、これがへりくつであったら、私の所持しているものに対する所持の理由はほとんどすべてへりくつになってしまうのである。